読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

安堵感スレイブ

幸福感・達成感・満足感だと思っていたものはどれも安堵感だった。

生きづらかったんだ。だから、感情を無視することにした。

 

行動記録表のを付けながらふいに思い出した。

そういえば、この2年は自分の感情を排除することばかり自分に癖づけていた。

感情と上手く付き合うとか、コントロールするとかでなく、行動や判断に感情を挟まないように習慣づけていた時期があった。

 

 

 

 

生きづらかったんだ。

あの人嫌い。あの人好き。そういうことを叫ぶ駄々っ子だった。それに付き合う自分が面倒だったし、仕事柄それは邪魔だった。

 

だから、感情を無視することにした。

 

 

人を嫌いと思うのは、人を好きと思うから。

好きか嫌いかって軸があるから。

 

そう思って、人を見る時に自分の感情を挟まないようにした。

 

 

すると、楽だった。

好きな人も嫌いな人もいない世界は楽だった。

いろんなことを考えなくて良くなった。

他人に反応しすぎることが少なくなって、感情の暴走が減った。

 

 

 

私には昔から、子供と大人が同居していた。

幼い自分がいろんなことを処理しきれずに叫ぶ。

それを客観的に見て、分析している自分がいた。

 

この頃は子供の自分が優位だった。それで生きづらいんだと私は思った。

だから、大人の自分が子供の教育しよう! と思った。

 

 

行動を重ねれば習慣は必ず変わる。

子供の自分がだだをこねても、なだめすかしてとにかく行動させた。

 

今思うと、この間に少しずつ少しずつ思考と感情のズレが重なっていたんだと思う。

どんどん自分の感情が見えなくなって、どんどん自分のことを考えるのが下手になって、どんどん納得感を得られなかった時の対処が下手になった。

 

事が起こったその瞬間に何も感じない。

無視することが当たり前だから。

そして相手の感情を見ている。

目の前から相手の感情がなくなって初めて自分の感情が目に入る。

そうしてやっと、自分のモヤモヤと向き合う。

 

 

そのときにやっと声を上げても、他人が私に寄り添ってくれる期間は終わっていた。