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安堵感スレイブ

幸福感・達成感・満足感だと思っていたものはどれも安堵感だった。

家庭環境はきっかけです。原因はあなたの考え方のルールです。

 

問診が終わると、先生が語りだした。

キャラ微修正した? ってくらい、さっきまでは徹底した聞き役だったのが一転、語りだした。

 

 

語った内容を要約すると、私の部分否定だった。

つまり、「あなたの悩み方は間違っています」ということだった。

 

 

 

まず、「悩みがあること、それ自体は悪いことではありません。悩むことはいいことでも悪いことでもない」先生はそう言った。

 

 

でも、私は困っていた。

悩みが付きなくて眠れないことがあった。悩みがたくさん脳内展開されていて思考が浅くなっているような気分もあった。とにかく、私は悩んでいて、それで困っていた。

人より気にしすぎるから悩みがたくさん生まれるんだと思って、いろんなことを気にしないように気をつけていた。私、なんか腑に落ちてないな、なんかイヤだなと思っても、模範的な人ならこういう行動を取るだろうって理屈を見つけて、感情をその理屈に当てはめようとした。無理やり納得させようとした。

短期的には効果抜群で、初対面の人とは上手く付き合えるようになった。でも、中長期的な関係になるとダメだった。理性と気持ちの細かいズレが重なっていっぱいいっぱいになると泣いてしまった。その時には、何で泣いているのかも分からなかった。

こんなふうに、私は困っていた。

 

今思えば、感情が発するエラーを無視することに慣れすぎていた。そして、体調に目立って異変が表れるまで気付けなくなるほどにセンサーは摩耗していた。

しかも、涙が勝手に出る・身体が震える・呼吸が荒くなる・食べれないといった体調の目立った変化でさえ、自分で重要視できなかった。1日1食も食べれなくて1週間で3キロ減った時も休むという選択ができなかったほどだった。その直後に休むことを決めたのだが、それは何もないのにオフィスで涙が止まらなくなったからではなく、本当はその日にいつもならしない仕事のミスがいくつか重なったからだった。このままでは迷惑を掛けるーー扱いにくい上に仕事の質を担保できなくなったら、私ってここに居つづけられるのかな? って思ったからだった。「休みたい」ではなく「休まなきゃ」と思った。

 

 

この時の私の思考回路はこんなかんじだった。

「感情」を「論理」で押さえ込んでいた。で、押さえきれなくなったら溢れ出す。これがダムだとしたら恐ろしくて仕方がない。

 

 

そんな私の悩み方のルールを、先生は否定した。

「その悩み方になったことと、幼少期の家庭環境は関係しています。でも、それは原因ではない。きっかけだ。原因はあなたのそのルールにあります。原因はルールです。ルールだから、変えることができます」

 

先生、力説だった。