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安堵感スレイブ

幸福感・達成感・満足感だと思っていたものはどれも安堵感だった。

カウンセリングに向かう時、比較的健全な自分をちょっと残念に思った

 

いざ、入室。

ドキドキ……はそんなにしなかった。

オフィスで震えが止まらなくなったり、帰宅中に泣き出したり、家に帰ってからも涙が止まらないのを放置してお風呂に入ったりしていたのに比べれば、いたって健全な私だった。

正直それをちょっと残念に思った。

 

昔から、新しいところに行くとき、私はなぜか比較的健全になる。

それは、この時から遡って5年ほど前に心療内科に行った時もそうだった。

普段はひどいくせに、通院時はいたって健全な人だった。

だからなのか、診断もいたって軽いものだった。

それがちょっとよぎって「せっかく来たのに私の切実さが伝わらなかったらどうしよう」そう思って、カウンセリングに向かう時、比較的健全な自分をちょっと残念に思った。

 

 

で、カウンセリング。

先生の第一印象は、物腰が柔らかそうというくらい。とりわけイケメンだとか不細工だとか、とりわけ人当たりが良さそうだとか話しにくそうだとか、そういうことはなかった。

今思うと、いたって普通ってことがすごかった。

 

 

先生との最初の会話は「緊張してますか?」「んー、そこそこです(ニコニコ)」という会話だったと思う。

私は、練習して獲得した「自然な笑顔」で上手く笑った。デフォルトの表情を笑顔にする技術を私は持っている。

 

 

最初は問診。

カウンセリング前に書いた「問診票」「アダルトチルドレンチェックリスト」「共依存チェックリスト」「機能不全家族チェックリスト」に添って質問された。

 

「『自分に一貫性がなく、自分が何者か分からない』って項目にチェックが入ってるけど、どうしてそう思うの?」

「今、複数のコミュニティーに所属してるんですけど、それぞれでキャラクターが違うんです。そのズレが最近大きくなってきて、辛いと感じるし、伸び伸びとした自分って何か分からないからです」

 

今思うとこれは私にとって辛いことを語っているんだけど、この時は明るめの音色だったと思う。感情とは関係なしに、分析的になるべく主観を排した返答を、感情とは関係なしにいつもの外向きの音色で答えることを、この時の自分は自分に課していた。

 

 

対する先生もあまり感情を挟まなかった。

「そうなんですね」

たしか、これだけだったと思う。少なくとも「辛かったですね」なんて無闇に同調することはなかった。問診の間、先生が発するのは質問か、了解の意のみ。

 

私の抱える問題を知り、その解決策を示すために、必要な情報を集める、職人的な対応だった。それに私は安心した。

この時の私は解決策にしか安堵できないだろうと思っていた。共感なんていらなかった。

だから、先生の職人的態度は頼もしかった。